’01.4.11
先々週3月30日のフジTVのアンビリバボーを見ていたら、そこにネコの心霊写真が出ていました。そのネコは生前あまり可愛がってもらえなかったので、現在可愛がられながら飼われているペット達をうらやましく見ていると言う解説になっていました。その話を聞いてなっちゃんの事を思い出したので、なっちゃんに付いて書こうと思います。
なっちゃんは私の家で飼われていたのですが、晩年(?)は両親の家で飼われる事になりました。何故大人になってから、両親の家で飼われる事になったかと言うと、他のネコとの仲が悪くなったから。これは一緒にもらわれて行った「はな」もそうだったのですが、一緒に生まれ育った家族のネコといつの間にかケンカをするようになって、ネコの中で立場が弱くなり、部屋の隅に追いやられる生活が続いたからです。
私にとってなっちゃんとはなが、何故他のネコ達とケンカをするようになったかはわかりません。ある日突然、他のネコが近付くと「フ−、シャー」と威嚇して、ケンカを仕掛けるようになったのが始まりでした。近寄る他のネコには「ケンカを売ろう」と言う感じはなく、只いつも通りに近付いたら威嚇された様に見えました。そしてそれは、なっちゃんとはなが私の手を離れるまで続いたのです。
私にとってネコ同士のケンカは、やはり理由もなくケンカを売る方が悪いように見えました。もし2匹が口をきけたなら、ケンカの理由を聞き出す事も出来たでしょうが、それはやはり無理な事。ケンカを仕掛けるネコを叱ってしまう事が多くなりました。そしてそんな事が日常茶飯事になり、なっちゃんとはなは毎日の様に叱られて、今思えばきっと辛い日々が続いた事だと思います。
そんな日が続いたある晩、眠ろうとしてベッドに入り、電気を消して暫くしたら、なっちゃんが大きな声で鳴き始めました。それは咽の奥底から声を絞り出すような、ちょっと盛りが付いたネコが鳴くような鳴き声でした。この声は深夜の団地にはとても響きます。もちろん私は起き出して、なっちゃんを叱る事になるのですが、叱っても暫くするとまた鳴き出すのです。そんな事が何度もあり、叱る度合いも強くなって行きました。
妹が、そんななっちゃんとはなを見るに見兼ねて、2匹を親元で引き取ると言い出しました。私にとって、これ以上2匹が他のネコと仲良くなれる事は望めそうもなかったし、なっちゃんとはなは仲が良いままだったので、2匹を手放す事を了承しました。そしてそれが2匹の幸せに繋がると信じたのです。結果的には、この予想はある程度当たっていたのですが、なっちゃんは両親の家で、今度ははなからケンカを売られる事になってしまったのです。
なっちゃんが両親の家で妹の部屋で暮らすようになったある日、私はなっちゃんが目と耳が不自由な事を聞かされました。なっちゃんのすぐ後ろで柏手を打っても、全く反応しない、目の前を横切る物に対して、反応が遅い。それは長い間一緒に暮らして来た私には、とてもショッキングな事でした。子猫の時には全く不自由な所はなかったのに、叱って暮らしているうちに、具合の悪い所も見抜けなかった自分を反省しました。もしかしたら夜中に真っ暗になった部屋で大きな声で鳴いたのは、目が悪くなって来た証拠だったのかも知れません。暗闇を不安に思い、私を探していたのかも知れない。でも、私はそれを強く叱ってしまった。。。余りにもひどい飼い主です。
そんな不自由な体になってしまったなっちゃんですが、妹が家を出る事になり、はなも妹が連れて行く事になり、ようやく幸せな落ち着いた生活が出来るようになりました。両親の家に元々いたネコ達は、なっちゃんとはながいた部屋には近寄らず、唯一近寄るつぶとはなっちゃんも心を通わせる事が出来たようで、仲良く一緒に寝ている姿を何度も目にする事が出来ました。
なっちゃんが両親の家にもらわれて2度目の秋、ぶぶが風邪を引きました。幸いにもぶぶは通院して治る事が出来たのですが、その風邪がなっちゃんに伝染してしまったのです。なっちゃんの症状はひどく、肺炎を引き起こし、入院もさせたのですが結局は家へ連れ戻した次の晩に、発作を起こして息を引き取りました。
なっちゃんにとって、これから幸せな生活が長く続くはずだったのに、余りにも呆気ない終焉に涙が溢れました。もっと身体の変調に気が付いてあげていれば、叱られる日々が一生の大半を占めることもなかったろうに。こんなひどい飼い主の元に生まれ育ってしまったばかりに、不幸せな半生を送らせてしまった事を悔やみました。
今、毎年御盆とお彼岸にはお墓参りに行きます。なっちゃんだけでなく、他にも何匹かが一緒に眠っているのです。その合同慰霊碑に手を合わせ、今のなっちゃんの状態が穏やかな物であり、他の子とも仲良くしている事を願って止みません。