’01.10.31
はんにゃんベランダ落下事件は、梅雨がもうすぐそこまで来ている5月の末に起こりました。その晩、私はベランダで、買って来た植木を別の鉢に植替える作業をしていました。私の周りにはひーちゃんやめめがいて、はんにゃんもそこで外の空気を楽しんでいました。
はんにゃんはその小さな身体を使って、ベランダの柵の内側と外側を交互にスクロームするのが好きでした。それは身体の大きなひーちゃんやめめには出来ず、スクロームしている時のはんにゃんは、ちょっとだけ得意げな顔をして見せるのです。その晩もはんにゃんは、嬉しそうに、得意げにスクロームをして見せていました、が、それが悲劇の始まりだったのです。
いつもならスクロームしているはんにゃんからは目を離さないようにしていた私が、ちょっとだけ後ろを振り返った時、いきなり「ゴン、ゴン、ゴ〜〜〜ン」と音が響きました。驚いて振り返った私の視界にははんにゃんの姿はありませんでした。ただ見えるのは、階下のベランダに設置したあるBSアンテナが、いつもの位置よりちょっとずれた方向を向いている光景だったのです。すぐにひーちゃんとめめをベランダから室内へ入れ、私は外へと走り出ました。でもそこにははんにゃんの白い姿はなく、いつもの夜の風景だけでした。その晩からはんにゃん捜索の日々が始まったのです。
はんにゃんが落ちたその時は、まだ時間が早かった為に晩御飯を与えていませんでした。だから取りあえず周りの家が寝静まった時間に、猫缶を持ってはんにゃんを探しに行きました。棟の周りの植え込みを覗き込んだり、人様のベランダのすぐ脇を名前を呼びながら歩いたり、でも姿は見えずにその晩は捜索を諦め、棟の脇に御飯を置いて、目印になるトイレの砂を少しだけ撒いて捜索を終わりました。翌日からは雨が姑く続きましたが、猫缶を持っての捜索は毎晩続いたのです。
ようやく雨も止んだ日曜日、私はベランダで洗濯物を干していました。どこからか猫の喧嘩する声が聞こえて来たのでそちらの方を見ると、見知らぬ猫に追い掛けられる白猫が見えました。すぐにはんにゃんだと思って外へ出ましたが、もうその姿を見つける事は出来ませんでした。でもその日の夕方、私が洗濯物を取り込む為にベランダへ出ると、ベランダの斜前の植え込みにはんにゃんの白い姿を発見しました。はんにゃんは自分の家の場所はわかっている。でもそれがこの建物のどの部分なのか、確かめるようにそこに座っているように見えました。私はベランダからなんどか「はんにゃん」と声を掛けましたが、その声ははんにゃんには気が付いてもらえなかった様です。何度も呼んでも一向にこちらを見ないはんにゃんにしびれを切らして私は外へ出たのですが、はんにゃんがいた場所に近付いた時には、はんにゃんの姿はそこにはありませんでした。
私の捜索は、毎晩9時頃から深夜2時頃、時には3時頃まで続く日もありました。雨降りでも、蒸し暑い夜でも、毎晩決まった時間に出て行く事が、はんにゃんに会える条件だと思いましたし、きっとどこかで見ているはずのはんにゃんに気付いてもらえる手段だと思っていました。
捜索を始めて2週間目までは2度程、はんにゃんの姿を見かけたのですが、捕まえるまでには至らなくて、精神的にも肉体的にもだんだんと私は追い詰められた状態になって行きました。そんな捜索の日々に、他の野良猫さんと仲良くなって、夜中に一緒に団地の中を歩いたり、又近所の猫好きなおばさんや団地内をお掃除してくれているおばさん等と話をする機会も増えました。ちょっとした些細な情報でも、何ごとにも替え難い宝物の様に思えた時期でもありました。
はんにゃんがベランダから落ちて1ヶ月が過ぎた頃、団地ではペット禁止なので諦めていた貼り紙を、団地の外にある商店やコンビニに頼む事にしました。写真と一緒に落ちた状況などを詳しく簡潔に書いた物を、私の連絡先と一緒にプリントしてお願いしました。本来ならもっと早くに貼り紙をすれば良いのですが、やはりペット不可の団地に住んでいる場合、どうしても二の足を踏む気持ちがありました。
貼り紙をして2、3日目のある日。私が仕事から戻って来た夕方、車で駐車場へ入ろうとしたら、自宅の棟の横の通路から、白い猫が白茶の猫に追われて走り出て来ました。すぐに停まって窓を開けて「はんにゃん!」と名前を呼ぶとその猫は一瞬立ち止まりました。私は急いで駐車場に車を置き、車の外へ走り出ましたが、すでにはんにゃんは走り去った後でした。それでもその様子を見ていたおじさんが、「あっちへ行ったよ」と教えてくれたので、隣の駐車場まで行ってみると、止まっている車の後ろの植え込みにはんにゃんの姿を見つける事が出来たのです。居場所を確認した私は自宅へ走って戻り、猫缶を器に開けて、先ほどの場所で1ヶ月と数日振りにはんにゃんと対面する事が出来たのです。
どうやらはんにゃんは、以前から私が白茶の猫にあげていた御飯を食べに来て追い掛けられた様です。白茶の猫にも「はんにゃんを見かけたら教えてね」と話し掛けていたのが、功をそうしたのか??でも、とにかくはんにゃんを見つける事に協力してくれた白茶の猫には感謝したのは言うまでもありません。目の前で御飯を一生懸命に食べるはんにゃんは、元々小さかった身体が失踪中の苦労が良くわかる程に痩せこけて小さくなり、薄汚れていました。それでもその表情には、私に会えた安堵の様が浮かんでいるように見えました。
はんにゃんは私が与えた御飯を、こちらを確かめるように何度も顔を上げながら食べ尽くし、そしてまた植え込みへと消えて行きました。私もベランダから落ちて初めてゆっくりとはんにゃんの顔を見て、少しだけ安心する事が出来ました。お互いにその存在を確かめる事が出来て、気持ちの繋がりを感じました。そしてその日から、はんにゃんは私が駐車場で呼び掛けると、その姿を見せるようになったのです。毎日、夕方になってから御飯の器を持って駐車場で行き、恐怖心の固まりを抱いたまま御飯を食べるはんにゃんを見守りました。
その週の日曜日は、団地の年に3回ある草取りの日程に決まっていました。土曜日は仕事が休みだったので、いつもより早い時間に御飯を持って外へ出ました。今にも夕立ちが来そうな、重く湿った雲が広がっていました。御飯を食べるはんにゃんを見守りながら、私の頭の中には「雨が降りそう。。。明日は草取り」と言う事が渦巻いてました。はんにゃんを捕獲するなら今日しかない、そう思いながらも「失敗は許されない。失敗してしまったら、もう2度とはんにゃんに触れないだろう」事が、私の手を震えさせました。それでも翌日の草取りには多くの人が植え込みの近くを通る事を考えたら、全くの有余はありませんでした。はんにゃんが御飯の2/3を食べ終わる頃に、思いきってはんにゃんの背中を両側から掴んだのです。
急に捕われたはんにゃんは、吃驚して暴れました。でもこの手を離したら、もう次はない。2度と手は離さないと決めて、暴れるはんにゃんを持って家へと走り出しました。途中何度も手を、足を、引っ掻かれても噛まれても、私は手を離しませんでした。その怪我は、途中の通路や階段に血を滴らせ、心臓はバクバクと波打っていましたが、とにかく自宅のドアを開ける事が出来ました。
その後、はんにゃんは半日程で自宅の空気を思い出す事が出来た様です。翌日には妹に頼んでお風呂にも入れてもらい、きれいな姿になってベッドの上で寝ている姿には涙が出ました。でも結局私は全治半月の大怪我を負いました。両手、両足を包帯でグルグル巻きにされた私の姿は、会った人が思わず笑ってしまうくらい悲惨な物でした。夏だった事もあって、毎日病院へ点滴にも通いました。それでも、そんな思いをしてでも、はんにゃんを連れて帰って来れた事を良かったと思っています。今では夜寝る時は私と一緒、それも私にもたれて朝まで熟睡するはんにゃんの姿を、本当に愛しいと思います。
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